幼少期〜小学校まで(自分史)

振り返るために、最近書いた自分史をブログに公開してみます。

東海市で粕谷家の三男として生まれる。

兄2人が大人しいタイプなのに対して、僕だけ活発だった。

幼少期は時代はガキ大将という肩書きがぴったり。

みんなが室内で遊ぶとなると、一人でも外に出て遊ぶ。

「非常警報装置を押すな」と言われれば押す。

昼寝の時間になれば、起きて遊ぶ。

とにかく周りと同じ行動ができない。

友達との関係も、親分と子分という感じ。

自分の言うことを聞かないなら、力づくで言いなりさせるようなタイプ。

わがまま放題、やりたい放題の保育園時代。

小学校に上がってから、自分の中では落ち着いていったが、保育園時代のガキ大将のイメージはなくならず、同級生の中で友達として接してくれる子はいなかった。

親分と子分ではなく、友達として接して欲しかったが誰も接してくれなかった。

まあ、相変わらず威張っていたから、誰もできないのはしょうがないが。。。

小学1年の時、給食を食べたあと授業中にお腹が痛くなったがトイレに行くとは言えなかった。

言えない理由は、学校のトイレで大きい方をしている子を見ると、トイレの上から覗いて「コイツうんこしてる・・・」と言ってバカにしていたから。

そんなことをしていたら自分が「トイレに行いきたい」とは恥ずかしくて言えない。

なので、ひたすら我慢すした。

我慢しても出るものは出る。そして、そうじの時間ついに漏らしてしまいました。

あの時の恥ずかしさは小学校を卒業するまで続いた。

友達と遊んでも自分がバカにされている被害妄想があって楽しくない。

友達と遊ぶのが楽しくないので、何か楽しいことはないかと兄が入っていた地域の少年野球チームに入った。

入った当初、チームのコーチは「いいバッティングするね。」「うまいっ」とか何かあるたびに褒めてくれ野球の練習に行くのが楽しかった。

しかし、1ヶ月くらい経って急にコーチの態度が変わった。

ちょっとしたミスをしただけで、「なんでそんなこともできねーんだよ。」と急に荒い口調で怒鳴るようになった。

今まで良かったものが急に何が悪くなったのか自分には理解ができなかった。コーチに何かを教わった覚えもない。教わってないのに「なんで怒鳴られないといけないのか」と思い自分の中で納得できず、行くのが嫌になり3ヶ月もしないうちにそのチームを辞めることになった。

きっと怒鳴ずに教えてくれればそのまま野球をしていたんじゃないかと思う。

野球をやめたので退屈な生活。兄が習っていた習字や英語を習った。でも、どれも面白くなくすぐにやめることに。

その中で唯一続いたのが柔道。

僕が入ったその道場では褒められることはなかったが、怒鳴られることもなかった。

その中で相手を投げる快感を覚えハマっていった。自分に合っていたのか高学年になると大会で勝てるようになり県大会大会でも出場すれば決勝までいくようになった。

ただ決勝の相手は必ず同じ相手で毎回負けていた。この相手だけには勝てるイメージが持てなかった。

勝てなかったのは相手が自分の技がワンパターンなのを知っていたから。

僕が通っていた道場では知らない技をかけると怒られたし、あまり技を教えてもらえなかった。

6年生になって新しい技を1つ覚えた時には、今までなかった技に相手が焦って勝てる手ごたえがあったが、それも読まれると、同じパターンで負け続けた。もっと使える技があれば勝てた、、、という想いがあったのを覚えている。

小学校の卒業が近づいた時、道場の先生から話があった。

「中学もうちの道場にきて高校は○○高校にいくからな。」と勝手に進路を決められていた。

それまでは、柔道を続けるかどうか考えていたが、この時に一気に反発する気持ちが出た。

「自分の人生は自分で決める!」と決め、小学校卒業をきっかけに楽しかった柔道を辞めた。

続けるものだと思っていた道場の先生は、卒業するまで「中学校の部活でもいいから柔道を続けてくれ」と言っていたが、もう柔道に戻ることはなかった。

長くなったので今日はここまで。

ーかすやゆうぞう

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