昨日の続き。
発音の練習をするきっかけになったのはこの前東京に行ってセルフイメージ先生とご飯を食べたのがきっかけ。
セルフイメージ先生から、英語話せますよね?と聞かれ全く話せないことを伝えると「えっ、そうなんですか。」と驚かれ、その流れから英語は話せた方がいいですよ、と勧められて先延ばしにしていたことに気づいた。そこで英語を2年以内に治療で使えるくらいに話す、というゴールが決まった。
治療くらいならそんなに英語が話せなくても支障はないが、僕は施術に入る前にカウンセリングを徹底的にする。なので、そこまでのレベルの英語力にするには日常会話まで、できるようにならないといけない。
あと、僕のマスタープランには海外を転々とする、とか現地の人を施術するというものがある。英語が話せなくてもそれが叶わないわけではないが、英語を話せた方がコミュニケーションが取れて楽しいはず。となると、すぐに英語に取り組むことが必要だなと。
ということで、早速Amazonで本を購入。英語を話せるようになるには、リスニングからというのが近道らしいのでリスニングの本(CD付き)を買って毎日の日課に加えた。
だが、なぜか普段本をほとんど読まない妻が先に読んでいた。もともと妻は英語科出身なので英語が好きなんだろうなとは思っていたが、普段ほとんど本を読まない妻が真剣に読んでいるところを見ると英語は他のものとは違うんだろうなと。
それに今まで僕がやっていることに興味を示さなかったのに、英語になると僕に共感してくれるとは英語は妻にとっては価値あることなんだと確認できた。
なので、スタバの帰りに本に付いてたCDを車のオーディオに録音しながら流れてくる発音練習を2人で繰り返した。
「英語なら一緒にできる」
妻に言われて気づいたのだが、妻が興味を持っていることに時間を投資することってあまりなかったなと。これは家族の中で共通の意識ができていいと思う。海外に行くなら自分だけじゃなくて妻も子供も話せた方がいいし、子供にとって親が英語を勉強して話せる姿をみせれば子供が英語に対しての抵抗も少なくなるからね。そんな環境を作ってあげるのも親の役目なのかな。
まあ、それにしても今まで妻から見れば理解できないことをやってきたのに、妻は何も言わずにやらせてくれて本当にありがたい。感謝。
ーかすやゆうぞう
P.S:
家族を持つなら「誰と一緒になるのか」というのは自分の価値観で生きるための最も重要な選択なのかもしれない。